【タロット物語】0 愚者 ― はじまりの一歩|星の見習いキシカ=イセイ
【0 愚者】第0話 ── はじまりの一歩
その子はいつもまっすぐだ。名はキシカ=イセイ。
宇宙の調和を守る<ゼルド>の、見習い「パダツー」。フィフスと呼ばれる目に見えぬ力を、まだ上手く扱えない。剣を構えればよろめき、瞑想すれば眠ってしまう。それでもどうしてか、周りの誰も、この子を憎めないのだった。
その朝も、キシカは遅刻ぎりぎりだった。
「本部まで通常ルートでは間に合いません」
足元を駆ける羊型ロボットのR⁴A-MU(らむ)が、律義に告げる。
「じゃあ、通常ルートじゃなきゃいい!」
キシカはにっと笑って、ひらりと民家の屋根へ跳び上がった。屋根から屋根へ。朝日を蹴って、風になって。眼下の街が、ぐんぐん後ろへ流れていく。
「ルート違反です。住宅区画の上空通過は、規定により――」
「あー! うるさいうるさい」
R⁴A-MUの小言なんて、追い風がぜんぶ運び去ってしまう。決められた道より、行きたい道を行く。彼にとっては、そればいちばん自然なことだった。
「ん?」
考えるよりも先に、身体が動いていた。ひとりの少女が、坂道で立ちすくんでいる。抱えていた袋が破けたのだろう。果物やら包みやらが、こぼれて坂を転がり落ちていくところだった。
屋根から飛び降り、着地と同時に駆け出す。転がる林檎を片手で受け、こぼれた包みを拾い、坂の下まで追いかけては、また駆け上がる。ほんの十数秒。気づいたときには、すべてがきちんと、少女の腕の中に戻っていた。
「これで大丈夫そう?」
「キシカ! 時間が!」
返事も待たずに、R⁴A-MUが叫ぶ」
「あっ、そうだった」
再び屋根に跳び乗り、駆け出す。一方的に助けて、一方的に去っていく。
残された少女は、ポカンと立ち尽くすばかりだった。お礼を言う間もない。名前を聞くことも、できなかった。さっきまで坂じゅうに散らばっていたはずの荷物は、今はきちんと腕の中に収まっている。まるで、はじめから何も起きなかったみたいに。ただ、遠ざかっていく小さな背中だけが、確かにあった出来事なのだと教えてくれていた。
一方のキシカは、走りながら、ふと妙な心地になっていた。屋根からは、迷わず飛び降りられるのに、あの子に「気をつけて」のひとことを、どうしてだか言いそびれてしまった。胸の奥が、ほんの少しだけもどかしい。
「よし! あと少しだ! R⁴A-MU時間は?」
「もう、過ぎてます」
「……」
迷わずに踏み出してしまう、その素直さ。それがこれから、いくつもの出会いと別れを呼んでいくことを、まだ誰も知らない。キシカ本人でさえも。
その一歩が、すべての始まりになる。